「自己診断テスト」に対する見解

 

 

 

 この生活になって、2ヶ月ほど経つ。

 

 暮らしは穏やかで、心情も一定水準を保っている。

けれども、一端の孤独感は、かわらずあって、悶える夜が続いている。「僕を知ってくれ!ここに今なんとか生きている僕を認めてくれ!」と叫びたがる感情を寝返りで誤魔化す。寂しさを埋めるための、健全な努力さえ、冷めた目で見る自意識がある。実は未だ、泣きじゃくって駄々をこねたい。でも、そんなことをしている成人を見たことがないので、今夜も、同居人の仕事服を干している。見たことがないと言ったけれど、所々見ているかもしれない。その度、大人の敗北をみたような気になって、嫌になっている。結局、ほんとうに泣きじゃくって駄々をこねても、まわりはついに狂ったとしか思わないだろうし、僕もそのまま狂ったフリをするしかない。

 

つい弱ると、診断テストみたいなものをしてしまう。自分の未だ信じている可能性を肯定してくれて、アイデンティティとさえ感じている欠点を言語化してくれる。回答するときも、もはや自分の本心よりも、「なんかわからんけどすごい奴」という人間の答えに寄り添って、タッチしている。答えが気に入らなかったら、やり直したりする。本心で挑んでみても、今夜はYESだが、昨夜ならNOみたいな質問が多すぎる。・決断は「頭脳で決める」or「感情で決める」まず頭脳と感情の定義付けからしないと、安易に選べない。こんなわけのわからない診断で、自己をふわふわさせたくないのだ、本当は。といいつつ、一昨日やったのだけれど、「あなたは周りを気にせずやりたい事をやるタイプ!」という結果だった。馬鹿にされている。これほど周り、世間を気にしている人間がいるか。怯えて暮らしている。

 ゴミの日の話がある。捨て場にゴミを出しに行くと近所の奥様方がいて、それらに顔を合わせるのが恐ろしくて堪らず、自室がゴミ袋で埋まりかけた過去を持つ男なのだ。3時間に1度くらい、ふと、自分のことを誰も知らない土地に行きたくなる。けれど、どこの地域もゴミの日はある。行き詰った。日本を出て、発展途上国にでも行こうか。無理だ。トイレや風呂が不衛生だと住めない。行き詰った。もう諦めて山奥とかで暮らすしかない。無理だ。虫が怖い。

 

 話が逸れた。やはり僕は、周りを気にせず、なんて出来たことがない。世間。たまに、「気にしすぎだ」「被害妄想だ」と心配してくれるが、僕にはその言葉を信じることができない。なにも病的に被害妄想をしているわけではない。それなりにこの社会で生きてきて、それなりの経験から生まれた予測なのだ。だいたい「こう思われているだろうな」は的中するのだ。それでもなお、「気にしすぎだ」とか言う奴は、単に話が噛み合わない。その対人における感受性の低さを羨ましくも思う。

 

 この生活は、あまりに物語がないので、登場人物が自分の、ただの感情の言語化の羅列みたいな文しか書けないでいる。でもずっと書いている。まるで世間から求められているように書いている。そんなわけがないことは、しっかり理解している。けれど仲間を探すように書いている。つまるところ、「周りを気にせずやりたい事をやるタイプ!」なのかもしれない。少し悔しくなったので今夜は寝る。