人の情緒不安定を笑うな 2

 

f:id:nekonade-bunka:20200623213927j:image

 

人の情緒不安定を笑うな パート2

 

 

 

 

 

 

  数年前の夏。神戸に遊びに行ったことがある。とても暑い日で、電車から降りた途端、気持ち悪いくらいに熱風で撫でられた。中華街のあの通りは、熱気が油で閉じ込められたように逃げ場がなく、ハトは低空で飛ぶし、気を抜くと知らない女子高生の自撮りに入りそうになる。異国語が飛び交う。さっと路地に抜けてもゴミが散乱していたりして、落ち着かない。口数が減って、そわそわしてしまう。「ほんと暑いね」と気を使って声をかけてくれるけれど、返事もそこそこにしてしまう。決して怒っているわけではないし、それを表情に出したりもしていないはず。けれどありありと自分の雰囲気が気怠くなっていくのがわかる。ただ、中華街に自分が馴染めていないことが気になって、なんのあてもなくここから脱出したくなっているだけなのだ。一年の半分も教室で授業を受けていないのに、なぜかクラス会に行った時、よりかは馴染んでいるけれど、あれに似た感覚がある。帰りたくなる。しかし帰ったってひとりなので、まだこの子といたいと思っていたら、小籠包を食べないかと提案された。ああ、これは、楽しんでいないと思われている。この子が泣いている子供に声をかけているところを見たことがあるのだけど、その時と同じ声で「小籠包食べる?」と聞かれた。「うん」と変な声で返事をした。

 

 


  小籠包を食べるためには、並ばないといけなかった。15分くらいは並びそうだった。なにより並ぶというのが苦手なのだ。待つのは得意なのだけど、並ぶとなると、自分から後ろの人たちのことが気になって、まるで自分のせいで待たせているんじゃないか、とか考え始めて、たまらなくなって列から出ることが度々ある。けれど今はそんな奇怪な行動はできない。苦肉の策として、iPhoneにイヤホンを刺して、この子に片方渡して、曲を流した。ここまで無言である。僕は突如として声帯を失ったかの如くしゃべらなくなることがあるということを、理解してくれている人だったので助かった。なんとかスピッツで息をつないで、やっと小籠包にありついた。さすがにご馳走した。150円くらいだった。これで満腹になってくれないかな、とか考えていた。

 


  食べたら、元気になった。なにより、はちゃめちゃに美味かった。今でも思い出すくらい美味しかった。油の暴力みたいな味だったけれど、それがよかった。それからというもの、矢継ぎ早に喋りだした。冗談も口から出て、なかなかに軽快だった。

 


  食事と情緒に関しては、最近明確になりつつある。この前、同居人の彼が仕事から帰ってくると、「ムカムカしてんね、飯食ってないでしょ」と言われた。確かに食ってなかった。そして実際ムカムカしていたので「ううう」と地鳴りみたいな返事をした数分後、赤いパスタが出てきた。「飯食ったか食ってないかすぐわかる子やね君は」となんか嬉しそうに言うのだ。「なるほど、俺は飯を食ったら元気になるのか!動物らしくていいじゃん」と元気に答えた。「低血圧なだけだよ」途端に突き放された。自分の心理状況に、なんだか医学的な名前(病名)を授けられると、ふっと気が楽になると同時に、その名前に甘えてしまいそうになるので、あまり心理状況に病名をつけるのは好きじゃない。あくまで自分の話である。

 


というふうに、僕は食べると元気になるということが最近になってわかった。これに関しては、なかなか正確な統計が取れているので、信憑性が高いし、持続的に安心して自分のプロフィールに載せられる。しかし、あまり食べすぎると急激に眠くなり、その場で本当に寝てしまいそうになることも多くある。よく友人に馬鹿にされる。「コナン君が麻酔銃を誤射した」といつもの冗談を言うけど、あんまりウケない。

 


例の中華街においても、あの小籠包を皮切りにフカヒレラーメンやらケバブやらをたくさん食べた。小籠包以前とは同じ人間とは思えないほどで、あの子も困惑していたけれど、よく笑ってくれる子だったので暑さも笑えるようになった。

 

 

 

日が少し暮れかかると、中華街から離れ、僕の趣味の路地歩きに付き合わせていた。すると長い商店街があった。古い商店街が大好きで、一度入ると、最後まで見ないと気が済まないのだ。あまり先がないように見えたので、安易に足を踏み入れた。これがよくなかった。最初の方は、お洒落なカレー屋さんや古着屋、楽しむにはもってこいだだったのだけれど、驚くほど先が長かった。そこそこの長さがあるアーケードを抜ければ、またすぐ同じ長さのアーケードが出現する。さらに奥に進めば進むほど、店は減りシャッターの灰色で一色になっていった。これもよくなかった。意地を張って進むのだけれど、あまりの風景の変わらなさに、脳が動きを止めたのを見逃さず、自問自答が始まってしまった。これが決定打となり、口が開かなくなり、ただ歩く人間になった。隣を無言で歩く、この子の視線を感じることで、より自問、そして嫌悪に繋がり、いよいよ泣き出してしまった。すると、手を握ってくれた。少々正気を取り戻し、来た道を戻り駅を目指した。閉口を貫く僕の手をずっと握ってくれていた。次第に気持ちも落ち着き、ただこの子への感謝が溢れ、大阪駅までの時間、女性の豊かさについて考えていた。まだ閉口は続いていたけれど。

 

 

 

大阪駅に到着し、改札広場の雑踏の中、ベンチに座った。騒ぐ学生を冷め切った目で刺すおじさんの顔ばかり見てしまう。相変わらず隣にいるこの子の優しさを再び噛みしめたくなり、「手を握っててくれてありがとう。」となんとか明るく振る舞い、感謝を伝えた。すこし時間を開けて「手を離すとどっか行っちゃいそうだったから」と目は見ずに言われた。力んだ音だった。

 


その時、僕はなんと嫌な気持ちになった。信じられないかと思うが、「何言ってるんだ?」と確かに思った。僕は外的環境にそぐわない状況でのロマンチックが苦手なのだ。おおいに恥ずかしくなる。決して自分がロマンチストではないというわけではない。そもそもあの子の、あの言葉がロマンチックであったかと言われると様々な意見があるだろうが、確かにあのセリフに言わされていた雰囲気があったのだ。もともと自分の言いたい言葉リストの中から、出てきたような気がしてならなかった。あまりに言葉の響きに酔っていて、僕との間に温度差が生まれてしまった。

そしてなりより、場所がよくなかった。なんの静寂も統一性もなく、一つの余裕も感じられない、効率だけを追求したような環境にロマンチックは、あまりに不釣り合いだった。一見そぐわない環境であっても、その違和感を逆手にとって2人の間に違和感を超越する雰囲気が築けたのであれば、また話は変わるが、この場合、僕にその気がまったくなかった。本気の感謝だったし、本気の閉口だった。なんの余裕もなかった。言葉に言わされることもなく、本心だった。ロマンチストは余裕の象徴であり、なにかの過大表現であるので、切羽詰まった状況でロマンチックなんて生まれやしないのだ。けれど、僕の言葉に何かが乗り込み、あの子のただ、言ってみたかったことの引き出しを開けてしまった結果、それに当てはまりそうなものを押し込められた。

 


これほど厳しいのは、よく自分もロマンチックを間違える時がしばしばあるからだ。どう考えても今じゃない時に、口説き始めたり、絶対に今!という時におちゃらけてしまったりする。そういう場面がよくある。なので、例のあの子のあの言葉も、確かに違和感で恥ずかしくなったものの、抱きしめたくなった。実際そうした。違和感を乗り越えたら、単に好きが溢れた。またこうして情緒が変化した。

 


あの子は今、僕の上位互換みたいな小綺麗な男と一緒にいる。

 

 

パート2 おわり