人の情緒不安定を笑うな 1

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人の情緒不安定を笑うな パート1

 

 

 

人の躁鬱を笑うな。

 


笑ったかと思えば、泣いています。

忙しない情緒の転換に、体が追いつかなくなってもう何年でしょうか。こころの中には、矢継ぎ早に大型台風が毎日直撃、今夜も真っ最中。けれど、その様子を表情に映すことができなくなって、日夜ずっと、色のない顔をしています。とはいえど、うまい飯を食えば笑うし、ねこを見れば、ほころびます。けれどこれは、散歩用のリールを見て、はしゃぎ回る犬と変わらないでしょう。昔、飼っていた犬は死にました。思い出すと悲しい。

 


もう、ああ!日夜叫びたい!モノを蹴飛ばして、人を殴りたい!昨夜の決意も消えてなくなり、今夜の迷いは今夜で終わり。来週2倍になって帰ってくる。この覚悟さえ、またいつもの流行に過ぎないのかしら。そんな不安で今日も晴れたというのに布団から出れず。

 


喜怒哀楽なんてかわいいもんじゃない。喜怒怒哀哀楽哀喜怒。けれど、表情は、無無無にっこり無無にっこり。なんだってんだ。友人はみな愛してくれたり、突き放したり、なにか私に言葉を当てはめてくれたりもする。その度、にっこりして心中も喜。けれどその後、怒。おまえになにがわかるってんだ!あの時死んだ犬は、私の中で狂犬となり、未だ飼いならすことができない。世の中には嫌な奴がたくさんいるので、そいつらに噛みつくぐらいはしてほしい。

 


就職活動をしていた時(もはや前世の記憶みたいに遠いですが)、みな口を揃えて自己分析、自己分析と言っておられましたが、全く意味がわからず、なぜ自分が働く会社に、自分を理解させる努力をこちらがしないといけないのか、最後まで納得できませんでした。その結果がこれです。それに加えて、これまでの人生、自己分析に費やしたようなものですから、今更やってる奴は、今までなにしてきたんだ!なんて息巻いてました。けれど、確かにその通りだとも思います。これまでの人生、自己分析をサボった日はありません。ところごどっこい、答えが出ないのでした。真剣に取り組んでいるつもりなので、そろそろ心が折れそうですが、他にやることもないので、人生を棒に振って自己を分析します。

 


そうすると、あまりに浮き彫りになる情緒不安定。いくら分析を進めて、これ!もう私の性格はこれで決定!となっても、明日になれば、全く違うことを言いだす。統一性のないデータばかり集まって、研究サンプルが毎日変わってるようじゃ、なんの統計も取れやしない。誰だってサジを投げるでしょう。昨夜だってサジをできるだけ遠くに投げたつもりが、今夜拾いに行っておりました。今夜は、海に捨てようかな。誰かが間違って拾ったようじゃ、きっとその人はとんでもなく衰弱してしまうだろうから、いっそ海の底へ。いいや、それもいけない。魚やクジラが誤って口にしてしまったら、泳ぎ方さえ忘れてしまうかもしれない。たまに耳にする、浜辺にクジラが打ち上がる原因は、情緒不安定者が海に投げたものを誤飲したからじゃないでしょうか。やはりいけない。今夜は枕元くらいに置いておこう。自分の情緒不安定性は、自分でも扱いきれないのだから、誰かに移ってしまったときには、そいつと共に自害するほかない。

 

パート1おわり