omaeno ために ikiterunndayo

 

愛してくれ、もうそのまま、今のまま。

22年生きてきた、そのうち、ほんとうに生きてた時間は何年。

 

死ぬつもりもなく飲んだ錠剤で死にそうだった。

結果的に生きている。

 

薬をたくさん飲んで死ぬ気のない自殺ばっかしてる女子高生を、

よそからみて、ダサいとかかまってちゃんだとか、

メンヘラだとか言ってる人間を殺したい。

 

ダサくて、生きんのも死ぬのも勇気なくて、

かまってちゃんで、すぐTwitterに載せる女子高生が、

22歳男性の心の中に住んでる。

手首は切らない、痛いから。

 

 

 

気が付いた時には、なんの反応もないアイフォン。

サイフはあった。アイパッドがなかった。

 

地獄みたい暮らしの中。

友人たちに助けられながら、デザインで飯が食えそうだった。

そんな兆しがあった。

まともなパソコンもないから、アイパッドで仕事をしてた。

商売道具がなくなった。

これは、同居人のパソコンを借りている。

もう修理の事とかどうでもよくて、はやくツイートしたかった。

 

Twitterが好きだ。

なんだか、全部許してくれそうなんだ。

みんな自分のことで精いっぱい。

みんな苦しんでる。

死にそうになると、途端に人が好きになる。

人を好きになれば、人に好きになってもらえる気がする。

僕の好意は、不純物まみれです。

 

外に出ると、楽しそうなやつばっかりで、ぶっ殺したくなるんだ。

Twitterはみんな死にそうだ。

みんな乾いた悲しさがあって、今にもみんな死にそうだ。

今にもみんな死にそう。

 

もう褒めてほしいわけじゃない。

それは、うそだ。

褒められたくて生きている。

人のことをもっと素直に褒めたい。

さわやかに好きだと伝えたい。

愛を適度に伝えられない。

度合がわからず、温度差が生まれるのが怖くて、

ただ黙ってしまう。無感情だと思われてしまう。

 

好きな人のことを、ほんとうは。

ほんとうは、好きな人の手をひいて、

僕の手と結び付けたりして、

綺麗な海でも見に行ったり、

木の隙間のひかりとか、

夕暮れ、存在しないふたりの青春を思い出したい。

自由をすっかり奪い合ってしまいたい。

 

 

 

今年の三月に、

二年付き合った彼女と別れた。

別れた理由は、ただの僕の発狂だった。

別れ話をした田舎のイオンのベンチ。

特に思い返して浸る感傷もないけれど、

あの子に最後まで「僕の心の中には手首を切る女子高生」がいることを言えなかった。

 

僕は「きちん」というアカウントで少し前までTwitterをやっていた。

僕はあいつが大嫌いだった。思い返しても気色が悪い。

ブームに乗っていただけの、クソみたいな言葉ばっかり。

 

ただ、たまに書いてた短編(あんなので短編とか言ってるのが気味悪い)を褒めてくれた人がいたから、それは好きだった。

というか、褒めてくれた人が好きなだけだ。

自分の作品で、好きなれたものが何一つない。

 

もうめちゃくちゃだ。

心情だけはめちゃめちゃなのに、

人に伝えるときには小奇麗にしやがる。

たまに表へ出る、めちゃめちゃな心がすべてを壊してきた。

 

Twitterが大好きだ。やってたって何にもならない。

Twitterにいる好きな人も、隣のクラスのマドンナみたいな距離だ。

なんにも手に入らず、現実に引きずられていなくなっていく人をたくさん見た。

はやくそうなりたい。

 

現実で辛くなったらTwitterを求める暮らしは好きじゃない。

もしTwitterが明日サービスを終了したらどうしたらいいんだ。

 

ちがう。

全部総括して、Twitterが好きなんじゃなくて、

僕の心の整理方法が文字に起こすことで、それができるのがTwitterなだけ。

ちがう。

僕が思春期が欲しかった居場所に似たものがTwitterにある。

 

 

僕の文をなぜかずっとよんでくれている人、

あなたはこの世の誰よりも僕のことを知っている。

僕がもし死んでしまったら、

その葬儀にはTwitterの人だけが参列してほしい。

 

追記

死ぬつもりはない。